11年前の東京電力福島第一原発事故をきっかけに、広島で原爆に遭った経験を初めて家族に明かした女性がいる。東北で被災した孫からの一言が、1945年夏の記憶を呼び覚ました。ロシアのウクライナ侵攻で、危機感はいっそう強まっている。
東日本大震災が起きた翌日の2011年3月12日。広島県府中町の自宅でテレビを見ていた貞金末乃(さだかねすえの)さん(80)は、水素爆発して煙を噴き上げた福島第一原発の映像に息をのんだ。原発の北約50キロの宮城県丸森町には、次女の家族9人が住んでいた。12日に避難指示が出された半径20キロ圏内からは離れていたが、どうしても気になった。
次女の自宅は震災のため家具や食器が散乱し、一家は集会所に避難していた。携帯電話がつながったのは数日後だった。公園で遊んでいた当時小学5年の孫は言った。「外に出たら電話がつながったよ」。貞金さんはすぐに「被曝(ひばく)するかもしれない。部屋の中に入りなさい!」と叫んだ。
頭に浮かんだのは、貞金さんが3歳の頃のことだった。
45年8月6日、貞金さんは安野村(現・広島県安芸太田町)の自宅にいた。広島の爆心地から北に約20キロ。幼心に爆音や強烈な光を覚えている。
近くの芋畑で兄と一緒に母の…
からの記事と詳細 ( 「部屋の中に入って!」 原発事故が呼び覚ました「黒い雨」の記憶 [核といのちを考える][ウクライナ情勢] - 朝日新聞デジタル )
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