アイルランド系アメリカ人の父親と日本人の母親を持つ加藤太一(仮名)さんは、両親の離婚により、母親の実家のある日本の田舎町で暮らし始めた。高校時代に酒を飲んで街のチンピラとけんかし、相手に大けがに負わせて高校を退校処分。単身で上京した。22歳で結婚し、子どももできた。
部屋のあちこちの壁に男や女が現れて、自分の悪口を言うといった幻聴に苦しめられる
◇「酒さえ飲まなければ」
40歳代となり、酒とは無縁の日々を過ごす今、「酒さえ飲まなければ」と加藤さんは振り返る。
結婚した頃は英語が生かせる仕事に就き、高校中退ながらも、そこそこの暮らしができていた。だが、酒により生活が破綻した。酒を飲んだ翌日に酔っ払った時のことを思い出せない「ブラックアウト」をしばしば起こすようになったのが、破綻の危険シグナルだった。警察で目覚めることも複数回あった。
そのたびに妻に迎えに来てもらった。当然ながら妻は酒をやめるように迫る。でも、やめるはずがない。
◇妻の愚問
結婚して3年たった頃だった。妻は目をつり上げながら、「私とお酒、どっちを取るの!?」と言った。加藤さんは「そんなばかな質問はするな、酒に決まってるだろう」と即答した。それからほどなくして妻は子どもを連れて実家に帰った。
「今も妻には頭が上がりません。知り合って20数年がたち、5回よりを戻し、6回別れました」
今は6回目の別居中だ。最近、妻にこんなことを言われたという。
「あんたとは23年付き合っているけど、一緒に暮らしたのは、どれだけあったかしら。そのうち、しらふだったのは病院から帰ってからのちょっとの間だけ、一緒に暮らしても、酔っているあんたしかほとんど知らない」
◇体が壊れていく
妻や子どもがいても酒を飲むが、いなければもっと飲む。
胃潰瘍で大出血をして、死にかけたのが27歳だった。20日間で退院。すぐに酒を飲んでしまうので胃潰瘍は治らない。退院から1週間もたたないうちに今度は血便と血尿で再入院した。
「そんなことを繰り返すうちに、酒をセーブしようと思い始めました。もちろん、やめようなどとは一切思いません」
加藤さんは「強い酒をぐいぐい飲むから悪いのだ。だからストレートで酒を飲むときは、水やお茶を交互に飲むようにしよう」と自己流の抑制を図った。しかし、飲む量は減らなかった。減らそうとも思っていなかった。当然の結果として体が壊れていった。
「入院するといろいろな病名を告げられたのですが、あまり覚えていません。ただ、食道、胃、十二指腸、小腸、大腸、直腸、肝臓のすべてが壊れていきました」
◇心も壊れていく
寝汗、幻聴、妄想もひどくなった。
「一番つらかったのは幻聴でした。部屋のあっちの壁やこっちの壁に男や女が現れて、僕の悪口を言います。すると別の壁に男が現れて『まあ、まあ、そう言うなよ』とかばってくれます。でも悪口を言う方が強くて、僕はボロボロにたたきのめされます」
今にして思えば、冷蔵庫のコンプレッサーが回る音や、窓の外から聞こえる車の音がきっかけで幻聴が始まることが多かったようだ。しかし、当時の加藤さんにとってはリアルな世界だった。友だちを呼び出して「実は話し声が聞こえるんだけど、お前たちはどうだ」と尋ねたこともあったという。
当然のことのように会社は首になり、アルバイトで食いつないだ。というより酒を飲み続けた。
◇ごみため部屋
「バスに乗っていたときでした。おならをしたつもりが、出たのは下痢便でした。慌ててバスを降り、ビルとビルの間に駆け込んで、下着で拭いて、その下着をその辺に捨てて次のバスを待ちました」
30代の初めの頃には、おならと大便の区別もできなくなっていた。下痢であるのは、固形物を食べずに飲んでばかりいるからだ。やがて家で寝ていても布団に垂れ流すことが多くなった。布団を干したことも、シーツを替えたこともない。マンションの部屋はごみがたまり、流しには腐敗した食べ物がこびりついていた。加藤さんは、それを見ただけで、げろを吐いた。げろは干からびるまで、そのまま放置した。
「そんな部屋には、もちろん帰りたくありません。でも、掃除する気も気力もなく、ごみため部屋はどんどん汚くなりました」
◇子どもの来訪
妻や子とは別居状態だった。子どもは会うたびに大きくなっていた。15歳になった息子はハードロックのバンドメンバーとなっていた。ある日「アメリカに行きたい」と相談に来た。
「親としては力になりたい。でも、いつも酒が入っている状態だから、相談されても、まっとうな返事を返せません。いや、それよりもマンションに入れることができません。だって、ごみためでしたから」
マンションの部屋には人がなんとか通れる、けもの道のような通路があるだけで、人が座れるスペースは無かった。なんとしても部屋には入れられない。玄関ドアを少しだけ開け、申し訳程度に相談に乗った。
風呂には、しばらく入っていなかった。着たきりすずめの服は汚れている。万年床には、たれ流した下痢便が染み込んでいるはずだ。部屋に入れなくても壮絶な臭いはしただろう。だが、その時の加藤さんは息子を部屋に入れないことがすべてだった。
◇流れる涙
酒を飲み続けるのが常態の加藤さんであったが、息子が寂しそうに帰った後、なぜか酒を飲む気がしなかった。
ベッドに横になって天井を見詰めていると、涙がボロボロと流れてきた。息子が親の支援を必要としているときに何もできないこと、話すらきちんと聞いてやれないこと…。心底、情けなくなった。「生きる資格はない。死のう」と思った。それからのことは思い出せない。
気が付くと病院のベッドの上にいた。離脱症状に苦しみながらも、医者の「起きてはいけない」という制止を振り切って、面会に来た息子に会いに行き、もつれる舌で弁明を続けた。
「パパは自殺をしようとしたんじゃない。死ぬ気なんかなかったんだ」
なぜ、弁明しようとしたのか今も思い出すことはできない。(続く)
佐賀由彦(さが・よしひこ)
ジャーナリスト
1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。アルコール依存症当事者へのインタビューも数多い。
(2022/09/13 05:00)
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