しゃれた洋館が連なる神戸市中央区北野町の異人館街の中でも、ひときわ目立つのが「風見鶏の館(旧トーマス住宅)」だ。館長の明星守さん(64)の案内で建築主のドイツ人貿易商、ゴットフリート・トーマス氏(1871~1950年)一家の数奇な運命をたどりながら、当時に思いを向けた。
館は1905年ごろの建築とみられる。尖塔(せんとう)の上の「風見鶏」が館名になった。「なぜこの立地なのか、屋根裏部屋から何が見えるのでしょうか」と謎かけをされ、案内が始まる。「欧州からシベリア鉄道を経て来日する友人たちをもてなす演出が多くあります」
シャンデリアや、扉の取っ手の装飾金具は当時の流行を反映したデザイン。食堂は中世の城を思わせる。「1階は迎賓館として建設されていたのでは」と明星さんは考える。
トーマス氏の一人娘エルゼさんは横浜で生まれ、幼少期をこの住宅で過ごした。14年に進学のため一家でドイツに帰国したが、第一次世界大戦の勃発で住宅は没収され、以降の入国もかなわなかった。一家の消息が分かったのは77年末。この年のテレビドラマで異人館ブームが起き、館は神戸市が買い取って一般公開することになった。このニュースを知って名乗り出たエルゼ・カルボー婦人。神戸市の招待を受け、79年に65年ぶりに来日を果たした。
通常は公開していない地下室にも案内された。市が買い取るまで、学校の寄宿舎になっていたが、エルゼさんは地下への立ち入りを禁じられていた。調理室や食料庫だったとみられるが、間取りまでは不明だ。
屋根裏までは狭い階段で上がる。奥には、はめ殺しの窓がある小部屋があり、今も神戸港のガントリークレーンがかすかに望める。
当時はドイツの軍艦が入港すると甲板でパーティーが開かれていたという。「私も連れていって」とおねだりをしたエルゼさんだが、この小部屋から双眼鏡でのぞくだけだったようだ。エルゼさんはその後も4回来日し、98年に99歳で永眠した。海とつながり、世界とつながる神戸を実感できた。
屋根裏部屋や地下室へは、毎月第3土曜日に開催される「探検ツアー」で見学できる(夏場は要事前確認)。同館(078・242・3223)へ。
【石川隆宣】
からの記事と詳細 ( 「風見鶏の館」一家の数奇な運命…屋根裏部屋の秘密 神戸異人館 - 毎日新聞 )
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