辺境の惑星で調査隊が出会った食料資源“カツブシ岩”の正体とは? 思わずあっと驚く結末が今度もあなたを待ち受ける!1話7分で読めていつでもどこでも楽しめる、人気のSF作品集。
では、自走式掃除機にロードするというのは? つまずいたりぶつかったりせずに、狭い隙間に潜りこむには、人間の身体より便利だ。ただし、それほど素早く動けるわけではないし、各種設備の切り離しスイッチを押すのも難しい。足が短くなり、マイクロ・センサーでダニの屍骸まで見えるようになっちゃうし──。
悩んでいるうちに、洗濯機がごとごとと回り始めた。もう、これじゃまるでポルターガイストじゃないの。カケルったら、ネットを駆け回る冒険がよっぽど気に入ってしまったらしい。そりゃ、面白いだろう。ただ椅子から落っこちているよりは。
機械なりに賢いマンションのシステムが、電流総和を計算して、自動的にミキサーの動きを止めた。
それでも、大音量のミュージックと、洗濯機と皿洗い機、それに給湯システムのシャワーの音は、階上のシモカワ氏の注意を引くには充分だったらしい。正確なリズムで、床が──つまり、うちの天井が──叩かれた。コツ、コツコツ。箒の柄によるものだろう。あるいは、当家に警告を与えるための床叩き専用ツールがあるのかもしれない。ロード可能なマシンかどうかは、わからないけど。
いずれにしても、当面、シモカワ氏にかまってはいられない。
「カケル?」
わたしは、慌てふためいて走り回るのはやめようと決心した。何か、もっといい方法があるはずだ。
そう、人間は、頭脳を使って、狩りを成功させ、テクノロジーを進歩させてきた。
ボコボコという、コーヒーメーカーの音に耳を傾けながら、わたしは考えこんだ。
それから、思いついて、猫なで声を出した。
「カケル、ウマウマ」
コーヒーメーカーが、ボコッと言った。
わたしは、わざとらしいゆっくりとした仕草で冷蔵庫に歩み寄り、扉を開いた。キッチンのどこかにいるのなら、こっちが見えているはず。いまどき、光学センサーを備えていないネットワーク機器なんかないんだから。
ミキサーがグワッと言い、洗濯機の音が止まった。赤ん坊のくせに、なんて素早いのかしら。でも、こっちに興味を惹かれているのは、間違いない。ミキサーに付いている高性能センサーなら、キッチンの全貌をモニターできる。
わたしは、冷凍庫からアイスクリームのカップを取り出した。最近のカケルはこれに目がない。
「さあ、カケル。いい子で、じっとしてるのよ。そしたら、ウマウマできる」
よく見えるようにカップを振りながら、忍び足でミキサーのほうに近づく。しかし、失敗だった。ミキサーから気配が消え、寝室でプレッサーがピーッと言っているのが聞こえた。ちっくしょう。慌てて歩き出そうとして、わたしは、自分のくるぶしにけつまずいた。
作戦、失敗。
落ちつけ、落ちついて、状況を整理しなおしてみよう。あの憎たらしいガキは、ネットワークを駆けめぐるのに夢中だ。まるで、わたしを困らせるのを楽しんでいるみたい。出勤前にわたしを疲れさせて、何が嬉しいのか。
まったく、どうしてわたしが、こんな目に遭わなくちゃいけないのよ。もう、八時二十分に近いというのに。これじゃ、化粧をあきらめて、トイレを省略しなくちゃ、とても間に合わない。また、便秘になっちゃうじゃないの。あーあ、子供なんか、引き取るんじゃなかった。
「カケル、アイスいらないの? ウマウマ、ウマウマ」
反応はない。わたしったら、まるで馬鹿みたい。足に青あざ作って、アイスクリームのカップを掲げ持って、猫なで声を出して──。
ふーん。そうか。
わたしは不意に、どうすればいいか悟った。もう、許さない。許してたまるもんか。抵抗できないような罠をしかけてやる。そのうえで、いやというほどお仕置きをしてやるのだ。そのためなら、一日ぐらい、会社を休んだっていいかも。どうせもう、遅刻は決定的なんだし。
わたしは、シャツブラウスのボタンを、上から順番にはずし始めた。
「じゃあ、カケル、オッパイは? ミルク飲まない?」
ブラウスを床に落としてから、ブラジャーのホックを外す。
ボコッ。
よし、コーヒーメーカーに戻ってきた。
わたしは、アイスクリームを、冷凍庫の中に戻した。
「パイパイ、オッパイ」
馬鹿みたいなことを口走りながら、ゆっくりと、コーヒーメーカーに近づく。人が見たら、何と思うだろう。三十代の母親、半裸でコーヒーメーカーを誘惑するの図。
コーヒーメーカーには、赤外センサーがついている。しかし、キッチンの壁にぶら下げてある銅の鍋は、赤外線では検知できない。たぶん。
わたしは、壁から鍋とお玉を取って、慎重に狙いを定めた。コーヒーメーカーの切り離しスイッチに手を伸ばしたら、テキはまた、別のところに逃げ出してしまうだろう。
だから──。
トラウマ。
ロードしている機器がぶっ壊されて、体感時間にギャップができたら、トラウマになるという話がある。
だが、そんなことを考えるにはわたしは疲れすぎていた。イラつきすぎていた。それにもう、八時二十五分だもの。
とにかく、ポルターガイストを退治することが先決だ。
だからわたしは、鍋を水平に振って、コーヒーメーカーに投げつけた。
ガチャンと、ガラスとプラスティックが砕ける音。天井から、シモカワ氏のメッセージが降ってくる。コツ、コツコツ。
わたしは、コーヒーメーカーの残骸と、傷ついた壁を見つめた。
どうだ。やっつけてやったか?
ミキサーがグワッと言って、わたしの希望を打ち砕いた。
タッチの差、というやつだった。しかし、おあいにくさま、わたしにはまだ武器がある。相手はまだ油断し、興奮しているはず。わたしは目にも留まらぬ速さで、お玉を投げつけてやった。
カチーン。
お玉は流しの上のミキサーに当たって撥ね返った。ミキサーは壊れなかったが、振動を検知して赤いランプが灯った。自動的に、ネットワークから切り離されたのだ。
やったか? 今度こそ、やったのか?
しばらく、耳を澄ませる。
ばかばかしかったけれど、口に出して言ってみる。
「ウマウマ。パイパイ」
寝室のプレッサーが、馬鹿にしたようにピーッと言った。
「もうっ」
トラウマ? そんなの、知ったことか! 許さないと言ったら、許さない。毎日わたしがへとへとになってるのは、誰のせい? 仕事と家事だけでも大変なのに、さらに重荷をしょいこまなくてはならないのは、なぜなの? なんでこう、ややこしい問題ばかり起こしてくれるの? 最善でも遅刻が決定的になったいま、わたしはすでに平常心を失っていた。
追い打ちをかけるように、コムマシンの着信ベルが鳴り始めた。ほんとうに鳴っているのか、プレッサーから移動した意識のいたずらなのかもわからない。わたしはよろよろと居間に入った。もう習慣になっている動作で、眠りこけているカケルのオムツと、お尻の間に手を突っこむ。それから、大声で叫んだ。
「もう。やめてよ。ねえカケル、ウンチしちゃってるじゃないのよ」
半べそをかきながら、わたしは、カケルの手を、アクセス・プレートに立てかけた。
「頼むから、もういいかげんに戻ってきて!」
コムマシンが黙りこんだ。次の瞬間、見よ! カケルの身体が、もぞもぞと動き出したではないか。その身体を、素早くプレートから遠ざけると、わたしは、カケルの上に覆いかぶさるように、顔を近づけた。カケルの目が、怯えたように大きくなる。
トラウマ?
まさか。間違いない。絶対に、間違いない。
わたしは、軽く、カケルの鼻の頭を弾いた。
それから、冷たい声で言った。
「さあ、あんたを、どうしてくれようかしら」
わたしはもちろん、カケルをひっぱたいたりはしなかった。そのかわりに、問答無用で彼の意識を吸い上げて、リサイクルボックスのメモリに閉じこめてやった。
ぐちょぐちょのオムツが半ダース入った、リサイクルボックス。彼は一日、臭いオムツをお腹の中に抱えたまま、愉快な時を過ごせばいい。
それからわたしはネットワークの中に入って、本物のカケルの意識を探した。わりとすぐに見つかった。カケルは冷蔵庫の中にいて、ピーナツバターを野菜室にぶちまけていた。こんなことなら、最初からこうしていればよかった。
だいたい、カケルがネットワークの中をあんなに機敏に動き回れるはずはなかったのだ。ネットワークの専門家とは違って、まだ何の訓練も受けていないのだから。それにカケルはもう、オッパイは卒業している。どうもおかしいと途中で気づいて、オッパイをちらつかせたら、ヤツはすぐに引っかかった。この作戦は惜しくも失敗したけれど、わたしに手ずからオムツを替えてもらうという誘惑には、ヤツも抵抗できなかったようだ。
わたしは鼻歌を歌いながら、車に意識をロードして、託児所に向かった。あのストーカー野郎がリサイクルボックスに閉じこめられていると思うと、気分が浮き立った。勝手にローカルドメインに侵入し、カケルを隠れ蓑に使って、わたしの身の回りを火花となって飛び回ったりしたんだから、当然の報いだ。
わたしの上機嫌は、カケルを預けて三十分遅れでオフィスに到着するまで続いた。黙って向かいに座っているボスに、遅刻を弁解することも考えなかったし、このネットワーク時代に、わざわざ出勤しなくちゃいけない不合理も、今日ばかりは気にならなかった。わたしのすべての苦労の元凶である元夫に、しっぺ返しをくらわしてやれたのが、それほど嬉しかったのだ。さて、帰ったら、今度はどうやっていじめてやろう。
鼻歌交じりにオフィスのサーバーに入りこむと、わたし宛てのメールが届いていた。
差出人は、おなじみ『心の友』。ヤツは、家だけじゃなくて、オフィスにまでメッセージを残してたのね。ほんとに、ねちっこいったら。
でも、メールを流し読みしたわたしの鼻歌は、ぴたりと止まった。
「実に刺激的な体験をありがとう。最後に、意識をスワップして逃げ出すには、幸運ばかりじゃなくて、僕のテクニックのすべてが必要だったよ。いや、それにしても、いいタイミングだった──」
スワップ? 幸運? タイミング? テクニック? そりゃいったいどういうこと?
ヤツは、たったいまも、リサイクルボックスに閉じこめられてるんじゃないの? 非常に嫌な予感に襲われて、わたしは素早くサーバーから抜け、顔を上げた。
「ボス? ひょっとして、さっき、わたしの自宅にコムかけました?」
返事はない。ボスは、身動きもせずに座っている。デスクのアクセス・プレートに左手を置き、中空に目を据えて、どこかに意識をロードしちゃってるみたいな感じで。
隣の席のオカちゃんが、凍り付いているわたしに向かって、声をかけた。
「ボスですか? あら、変ね。あなたがまた遅れそうだからって、ご自宅に企画書を見に行くっておっしゃってましたけど。会いませんでした?」
わたしは、ごくりと唾を飲みこんだ。
「あ、それって、まさか──直接──」
「ええ、直接、コムマシンに意識をロードしたほうが早いとか、言ってたわね。行き違いになったのかしら?」
いいえ、と、わたしは声に出さずに答えた。
コムマシンに着信したばかりの別人の意識を見つけた元夫が、とっさに、メモリ・スワップをやってのけたのだ。上司が今、どこにいるのか、わたしははっきりと知っている。
わたしは、のろのろと、通信回線に入りこんだ。
それから、言い訳を考え始めた。
三十分にわたって、ぐちょぐちょのオムツと一緒に過ごしているはずの、小心で潔癖でせっかちなボスに対する言い訳を。
続きは本書でお楽しみください。
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