大相撲の元小結高見盛(45)=現東関親方=と言えば、立ち合い前の独特なルーティン。
大量の塩をまき、胸や顔をパチンパチンたたいて、ほえる。ギクシャクした動きから「ロボコップ」とも親しまれた。
本人にすれば、パフォーマンスではなく、怖さをごまかすための策だった。
数々の失敗と、苦難にぶつかってきた相撲人生。それでも……。
「一番しんどいのは、正直、いま」だという。
◇
〈日本大学時代にアマチュア横綱となり、鳴り物入りで角界入りしたのが1999年春場所。スピード出世し、幕内2場所目だった翌年秋場所で、右ひざの靱帯(じんたい)を断裂した。長期休場とリハビリを経て、1年半かけ、幕内に戻ってきた〉
取組前のルーティンを始めたのは、右ひざを大けがした後。恐怖心を取っ払えないかと思ったんです。
十両優勝して、再入幕しました。少しは自信がわいていたんですが、やっぱり土俵に立つのが怖かった。
ゾワッと来るんです。
最後の仕切り前、行司さんの言葉を聞くときです。
「時間いっぱいです」
右足が自分のものじゃないと思ってしまう怖さ、リハビリのつらさ、番付を落とした切なさ、やるせなさ……。
「もう治ったんだ。大丈夫だ」
頭では分かっていても、自分にこびりついています。
なんでもいいから恐怖を取り除ければいいと、自分の顔をぶん殴ったのが最初です。
緊張しやすい性格ですから、アドレナリン、闘争心が分泌されるかも、という思いもありました。
〈支度部屋に来るまでその日の対戦相手を聞かないようにしていた。心をコントロールするためだった〉
T.M.Revolutionなどの激しい音楽を聴いたり、格闘技の漫画を読んだりして、自分の気持ちを高ぶらせたり。できることは何でもやりました。
〈器用ではない。失敗談は尽きない。現役時代、遅刻しては叱られ、私生活が週刊誌を騒がせたことも。親方になりたての頃、大事な会議の会場を予約し忘れた。勝負審判の場内アナウンスで言葉がうまく出てこず、場内をざわつかせたこともある〉
次は気をつけようと思うんですけど、どれだけ気持ちが張っていても、ミスはするんですよね。
でも、開き直りも必要だと考えました。
自分の性格と行動は変えられないですから。注目されたとしても、周りの目を気にしていたら何もできない。
そのために、自分の行動に責任を取ればいいと割り切るようになりました。
周りに被害を与えてしまったとしたら、その代償を自分が払えばいいんだと。
〈苦しい時、支えにしている…
からの記事と詳細 ( 朝青龍は怖いし、部屋は消滅…土俵際の元高見盛がつくった「逃げ道」 - 朝日新聞デジタル )
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