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Tuesday, July 19, 2022

海沿いの小部屋は先住民の子の「監獄」だった…生存者が語る米寄宿学校での人種差別とは - 東京新聞

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<米先住民寄宿学校・奪われた未来㊤>

トゥラリップの先住民寄宿学校で子どもたちへの体罰に使われた「監獄」の跡。潮が満ちると海水が押し寄せたという=杉藤貴浩撮影

トゥラリップの先住民寄宿学校で子どもたちへの体罰に使われた「監獄」の跡。潮が満ちると海水が押し寄せたという=杉藤貴浩撮影

 穏やかな波が寄せては返す海岸に、うち捨てられた建物の痕跡があった。水にぬれたコンクリートの基礎は、そこに小さな部屋があったことを物語る。

 米北西部ワシントン州の先住民保護区トゥラリップで先住民の権利擁護に取り組むデボラ・パーカー(51)が語る。「ここに子どもたちが閉じ込められていた」

 パーカーによると、小部屋は体罰のための「監獄」だった。「潮が満ちれば隙間から海水が入ってくる。子どもたちは夏でも冷たい海水につかり、一晩中そのままにされた」

先住民寄宿学校は同化と差別の制度だったと話すデボラ・パーカーさん=杉藤貴浩撮影

先住民寄宿学校は同化と差別の制度だったと話すデボラ・パーカーさん=杉藤貴浩撮影

 この「監獄」があったのは旧トゥラリップ工業学校。19世紀前半から150年間、米政府やキリスト教会が各地で運営した先住民寄宿学校の一つだ。先住民の伝統文化を断ち切り、白人社会への同化を図ることを目的に、幼い子どもを親元から引き離した。

 パーカーは言う。「寄宿学校は、自身の信仰や文化は誤ったものだと思い込ませる人種差別そのものだった」

 米国の先住民寄宿学校 1819年の「インディアン文明化基金法」などに基づき、先住民の子ども数十万人を強制的に集め、英語やキリスト教のほか、出身部族の伝統とは異なる産業教育を施した。文化継承を絶って白人社会に同化させることにより、先住民の土地を奪う目的もあったとされる。政府やキリスト教会が関与した寄宿学校は400以上。身体的、精神的虐待が横行したほか、劣悪な環境による病気も流行した。2020年の国勢調査では、先住民の血を引く人口は約970万人で全体の約3%。

◆牛を追う棒で突かれ「人間とみなされなかった」

先住民寄宿学校に入れられた6歳ごろのウォーボネットさん。髪を切られ、洋服を着せられている=本人提供

先住民寄宿学校に入れられた6歳ごろのウォーボネットさん。髪を切られ、洋服を着せられている=本人提供

 「牧場の牛を追い立てる棒で突かれることもあった。先っぽには電流が流れていて、生徒はもがき苦しんで倒れた」。米北西部ワシントン州の先住民保護区トゥラリップ周辺で暮らすマシュー・ウォーボネット(76)は、中西部サウスダコタ州の寄宿学校で過ごした8年間を振り返る。

 学校に入れられたのは1952年、6歳の時。到着した子どもたちは数人ずつ大きな浴槽で洗われた後、先住民の慣習では身内に不幸があった際にしか切らない髪を一斉に刈られた。

 1学年は100人ほど。笛の合図で毎朝6時に起こされると、教会まで行進し、キリスト教を学ばされた。英語ではなく出身部族の言葉で話しただけでも罰を受け、教師や聖職者からの虐待が日常化していた。

 ウォーボネットは「子どもを傷つけたいだけの教師もいた」と話す。銃で空き缶を撃って脅す。子どもがまっすぐ差し出した手のひらにコインを長時間置き、腕の疲れに耐えきれずに落とすと殴打した。同じ学校にいた兄は司祭に階段から投げ落とされ、腕を骨折した。「私たちは人間と見なされていなかった。もの扱いだった」

6月、米ワシントン州トゥラリップにある先住民の歴史を伝える博物館で、寄宿学校での経験を語るマシュー・ウォーボネットさん=杉藤貴浩撮影

6月、米ワシントン州トゥラリップにある先住民の歴史を伝える博物館で、寄宿学校での経験を語るマシュー・ウォーボネットさん=杉藤貴浩撮影

◆50年以上顧みられなかった「国家的悲劇」

 14歳で寄宿学校を出たウォーボネットは自身の部族の言葉や文化を学び直し、先住民の権利向上に尽力してきた。連邦議会上院は公民権運動の高まった1969年、寄宿学校政策を「国家的な悲劇」と認め、同化目的の学校はその後、姿を消した。

 だが、寄宿学校の詳しい実態は長く顧みられなかった。同様の歴史を抱えるカナダで昨年、学校跡から大勢の子どもの遺骨や墓が見つかったことを機に、米国でもようやく問題化。国民融和を唱えるバイデン政権で先住民初の内務長官となったハーランド氏のもとで検証が始まり、今年5月に最初の報告書を出した。

 パーカーによると、子どもたちが海を目の前に閉じ込められた「監獄」の近くには、病気やけがをした生徒たちが運ばれる地下室もあったという。「そこに行ったまま二度と戻らなかった子どもの話をたくさん聞いている」とパーカー。

 奪われ、失われた先住民の子どもたちの命。5月の政府報告書は「今後の調査で、その数は数千、数万だったと分かるだろう」と指摘している。(敬称略、ワシントン州トゥラリップで、杉藤貴浩)

 ◇

 米国で先住民寄宿学校の歴史に光が当たり始めている。同化政策が与えた深い傷や癒やしの道を追った。3回に分けて報告する。

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