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Friday, November 11, 2022

亡くなった村田兆治さん、部屋着姿で床に座った状態で発見…王貞治さん「まさかこんなことに」 - 読売新聞オンライン

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 11日午前3時15分頃、東京都世田谷区成城、プロ野球・ロッテ元投手の村田兆治さん(72)方から出火、木造2階建て住宅の2階部分約40平方メートルが焼けた。村田さんは2階一室から救助されたが、搬送先の病院で間もなく死亡が確認された。警視庁成城署は一酸化炭素中毒の可能性が高いとみて死因を調べている。

 成城署幹部によると、村田さんは一人暮らし。2階居間の燃え方が激しく、消防が駆けつけたときは部屋着姿で、隣室の床に座った状態だった。

 村田さんは1968年、広島・福山電波工高(現近大福山高)からドラフト1位で、東京オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に入団した。左脚を高々と上げる「マサカリ投法」から繰り出す速球とフォークボールを武器とし、74年にチームの日本一に貢献した。

 82年に右肘を痛め、翌年に渡米して故フランク・ジョーブ博士から肘に左手首の けん を移植する「トミー・ジョン手術」を受けた。最初の3か月は10メートル投げるのも30球しか許されなかったが、苦しいリハビリを1年間続けて復帰。85年に開幕11連勝を含む17勝を挙げてカムバック賞に輝いた。

 肘への負担を減らすため、当時は珍しい中6日となる毎週日曜日に登板して奮闘する姿は「サンデー兆治」と呼ばれて人気を集めた。

 90年に40歳で現役を引退するまで、プロ23年で歴代17位の215勝(177敗)、同10位の2363奪三振を記録した。一人で投げ抜くことに強くこだわり、完投数は通算604試合で184を数えた。

 全国の離島で白球を追う中学球児が熱戦を繰り広げる「全国離島交流中学生野球大会」(離島甲子園)にも力を注ぎ、野球の振興にも尽くした。

 村田さんの2学年上で読売巨人軍のV9時代のエースだった堀内恒夫さん(74)は「何回でも投げてやるという投手としての生きざま、美学を持っていた。残念でならない」と突然の死を悼んだ。

 村田さんは95~97年、福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)で王貞治監督の下、投手コーチを務めた。王球団会長は「監督時代に3年間一緒にやってくれたが、ずいぶんと苦労をかけてしまった。最近でも離島の子どもたちに元気に野球を指導していたので、まさかこんなことになるとは思わなかった。ご 冥福めいふく をお祈りします」と哀悼の意を表した。

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