12年前の東日本大震災でも途切れなかった交流は、新型コロナウイルス禍で中断を余儀なくされた。大相撲の玉ノ井部屋は約30年前から福島県相馬市で夏合宿を実施。日本相撲協会の許可が出れば、今年は4年ぶりに開催する。同市出身で先代玉ノ井親方(元関脇栃東)の志賀駿男さん(78)は「コロナでまた一からやり直しみたいなものだ」と再開を熱望した。

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2011年3月11日、風光明媚(めいび)な潟湖の松川浦に巨大な津波が押し寄せた。稽古場の岩子相撲道場も1メートルほど浸水。中に入れていた機械などは全て使えなくなった。だが流れてきた船は周囲のフェンスでせき止められ、建物自体は残った。

震災約1カ月後。部屋は相馬市でちゃんこ鍋の炊き出しを行った。志賀さんの次男、玉ノ井親方(46=元大関栃東)は「まだ避難所で身を寄せ合っている状況だった。温かいものはうれしいと、喜んで食べてもらった」と述懐した。

思い出深い松川浦周辺は、信じられない光景が広がっていた。海岸沿いの松林は根こそぎ流され、あったはずの家々は土台を残すだけ。志賀さんは「小さい頃に行った場所があんなことになるなんて…。記憶と全く違った」と言葉を失った。

玉ノ井親方は立谷秀清市長に合宿の中止を申し入れると「こういう時だからこそ、部屋が来て盛り上げてくれないと困る」と言われた。11年はまだ電気が通っておらず、自家発電機や仮設トイレを設置し、8月に約20日間の合宿を行った。

相撲道場の工事に携わった大工は、津波に流されて犠牲になった。志賀さんは「地震が来てもつぶれないように、頑丈にしてほしいとお願いしていた。稽古場を見ると、あの大工さんを思い出す」と遠くを見つめた。

稽古だけでなく、バーベキューや盆踊りなど相馬市での夏合宿は、力士たちと地域住民が交流を深め、互いに活力を得る場でもあった。コロナ禍で20年以降は途絶え、志賀さんは「震災の時でもやってきたわけだから。2年、3年と空いてしまえば、応援してくれる人も少なくなってしまう」と懸念を覚える。

11日で東日本大震災発生から12年。街の風景も変わってきた。玉ノ井部屋と相馬市は固い絆で災禍を乗り越え、新たな1歩を見つめている。