本書を読み始めてすぐ、これは映画やドラマ化のオファーが殺到するのではないかと思った。映像化された際の宣伝文句はおそらく次のようなものだろう。
「韓国社会を震撼させた『n番部屋事件』。前代未聞のデジタル性犯罪の実態を暴いたのは2人の女子学生だった!」
卑劣な犯罪に立ち向かう女子学生のバディもの。さぞや痛快な物語に仕上がるのではないか。
だが、読み進むうちに考えが変わった。これはなまじの映像化に向くテーマではない。犯罪の内容があまりにひどすぎるからだ。吐き気を催すような鬼畜の所業になんども目を背けたくなった。
「n番部屋事件」とは、2019年から2020年にかけて、匿名性の高いメッセージアプリ「テレグラム」内のチャットルームを使い、未成年者を含む女性の暴行動画や盗撮画像、性的な合成写真、被害者の個人情報などを撮影、流布、販売した、複数の事件の総称である。
主たる事件は2つ。「ガッガッ(ガッはGod。すなわち”神神”の意味)」ことムン・ヒョンウクが運営していた「n番部屋」といわれる1番~8番までの8個のチャットルームを舞台にした事件と、「博士」ことチョ・ジュビンが運営していたチャットルーム「博士部屋」における事件の2つである。
主な手口はこうだ。アルバイト募集を装い、SNSなどを通じて顔写真や個人情報を送らせた女性を脅迫し、性的動画を撮らせる。あるいは共犯者を送り込んで強姦し撮影する。加害者はこれらの動画を会員に対して暗号通貨などと引き換えに販売していた。警察によれば、両チャットルームの有料会員数は約3万人にのぼり、被害者数は公表されていないものの、一部報道によれば、脅迫されて写真や動画を提供させられた女性は「博士部屋」だけでも74人(うち未成年16人)にのぼるという。
このおぞましい犯罪を暴いたのが「追跡団火花」こと、ジャーナリスト志望の大学生、「プル」と「タン」だった。就職活動に役立てようと、2人でニュースのコンクールに応募するための取材を始めたのが2019年7月のことだった。テーマは「盗撮問題」。ところが、ここから彼女たちは想像もしなかった深い闇へと迷い込むことになる。
盗撮データが流されるルートを探るうちに、「n番部屋」というテレグラムのチャットルームがあることを知り、なんとか潜り込むことに成功した。2人が潜入したのは、n番部屋のひとつである1番部屋だった。入室した途端に目に入ったのは、子どもたちの裸体だった。ほとんどが中学生か小学生に見えた。詳述は控えるが、プルとタンが目撃したのは、「奴隷」と呼ばれる子どもたちが会員たちに命じられ、ありとあらゆることをさせられている光景だった。
その日から潜入取材が始まった。といっても、彼女たちはサイバー犯罪の取材なんて初めてだ。だから根気だけが頼りだった。サイバー空間で起きている性的搾取行為や被害者の人格を踏みにじる会話を追跡しては、証拠として記録していく。これを辛抱強く続けた。夜通しモニタリングを続けたこともあった。いまこの瞬間にも被害に遭っている人がいるのではと思うと気が気ではなかった。
プルとタンの活動が世に知られたとき、「追跡団火花の証拠集めは子どもの探偵ごっこのようだ」と嘲笑する声があったという。学生がスマホでチャットルームを眺めて集めた証拠など信用に値しない、というわけだ(立花隆の『田中角栄研究』に嫉妬した記者たちの反応を思い出す。立花らも根気強く登記簿をチェックして田中金脈の全貌を暴いた)。
だが、1年以上も性加害の証拠を見続けると人間どうなるか想像してみてほしい。精神的ショックが蓄積し、気が付けばプルとタンは深刻なダメージを受けていた。事件が明るみに出て2人はメディアに引っ張りだこになるが、インタビューの途中で泣き出したり、カウンセリングを受けたりしている。彼女たちにとってテレグラムは戦場だったのだ。
本書は3部構成になっている。第1部では、n番部屋事件の経過と「追跡団火花」の調査活動が詳述される。第2部では、プルとタンの半生が交換日記のようなスタイルで綴られ、フェミニズムに関心を持ったきっかけや、2人が体験したジェンダー差別やセクシャルハラスメントなどが語られる。第3部では、事件をきっかけとした韓国社会の変化がまとめられている。
はじめ、この第2部は不要ではないかと思った。なぜ事件と直接関係のない2人の物語を間に挟むのか疑問だったからだ。だがそれは間違いだった。この第2部「プルとタンの話」こそが本書の肝であり、読みどころである。
プルとタンはまったくタイプが異なる女性だ。性格も育った環境もライフスタイルもまるで違う。にもかかわらず2人の半生を辿るうちに浮かび上がってくるのは、相違点ではなくむしろ共通点のほうである。
プルには中学2年から5年間つきあった彼氏がいた。ある時、お洒落してワンピースにヒールでデートに行くと、彼氏が怒って、いますぐ帰って着替えてこいと言われた。彼氏は通りすがりにプルをチラ見した男たちにも怒っていて、「お前が好きだから言うんだ」と言った。
タンは高校2年の時、国語の先生から職員室に呼ばれたことがある。先生はもっと勉強を頑張ろうとタンの腕を揉みながら言った。なんだか気持ち悪かった。ある時、友達の間で「腕の内側は胸と同じ感触がするんだって。だから国語の先生は生徒の腕を触るんだよ」と噂が広まったのを耳にして、校内で先生と出くわさないことを祈った。
こうしたエピソードから浮かび上がるのは、彼女たちの「生きづらさ」である。なぜ生きづらさを感じるのか。この感情の正体は何なのか。自分が抱えているものをなんとか言葉にしたいと模索するうちに出合ったのがフェミニズムだった。この第2部を読むと、タイプの違う女性がそれぞれにとって切実で必然的なルートでフェミニズムに辿り着いたことがよくわかる。
もうひとつ、彼女たちに大きな衝撃を与えた事件があった。2016年5月、キム・ソンミンという30代の男が、江南駅近くのビルの共用トイレに潜み、入ってきた女性を殺害した。その前に入ってきた6人の男性は見逃し、女性だけを狙っていた。明らかにミソジニー(女性嫌悪)にもとづく犯行だった。だが、警察や検察、裁判所は「偶発的な犯罪」と結論付け、犯人を心神耗弱で減刑してしまう。この時、女性たちが感じた絶望の深さは想像するに余りある。
プルとタンが目の前で起きていることを見過ごせなかったのは、物心ついてから自分たちを苦しめてきたものの正体を突き止めたかったからかもしれない。
2020年3月9日から新聞で「追跡団火花」による連載記事「n番部屋追跡記」が始まると、「博士部屋」のチョ・ジュビンが、次いで「n番部屋」のムン・ヒョンウクが逮捕された。翌2021年の最高裁判決で、チョは懲役42年、ムンは懲役34年を言い渡され、さらに出所後は30年にわたって電子足輪(GPSを利用した行動監視装置)の装着を義務付けられた。
本書を読むと、どうしても日本と比較してしまう。事件をきっかけに韓国では一連の法改正が行われ、性交同意年齢が13歳から16歳に引き上げられ(16歳未満の未成年と性的関係を持った場合、同意のあるなしにかかわらず強姦とみなされ処罰される)、強制わいせつが罰金刑ではなく懲役刑となった。特に16歳未満に対する強姦、強制わいせつの公訴時効が廃止されたのは大きい。
一方、日本でも今年6月にようやく(それも国際的批判を受けて)性交同意年齢を16歳に引き上げる刑法改正案が可決・成立したものの、時効の廃止には至っていない。
性犯罪は日本でも後を絶たない。最近では、四谷大塚の講師らによるn番部屋事件を思わせるような事件も起きている。本書から私たちが学ぶべき点は多い。ひとりでも多くの人に手に取ってほしい一冊だ。
からの記事と詳細 ( 『n番部屋を燃やし尽くせ』デジタル性犯罪を暴け! - HONZ )
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