転勤族だった私は昨年3月に退職して社宅から退去し、最後の引っ越しを終えた。
最初の社宅には新婚で入居した。初めての土地の古い社宅で慣れないことばかりだったが、若い夫婦の2人暮らしは全てが楽しかった。荷物は少なく、退去の作業はすぐ終わった。次の土地への期待感で気分が高揚していた。
子育てに明け暮れた社宅も思い出深い。
子供たちは壁に落書きをし、襖(ふすま)にたくさん穴を開けた。退去の日、社宅の庭でいつものように仲良しの友達と遊んでいた子供たちは、明日からはもう会えないことをわかっていただろうか。
荷物を運び出した空っぽの部屋はしんとしていて、昨日までの喧噪(けんそう)が噓のようだった。何もない空間に幼い子供たちが走り回った光景が浮かんできた。
最後の社宅では小学生の子供たちが就職するまでの長い時間を過ごした。思春期を迎え、成長していく子供たちとの甘くて痛くてほろ苦い思い出が詰まっていた。ここは闘病の末、妻が亡くなった家でもある。あちこちに妻と過ごした景色が浮かんだ。
長い間に荷物は格段に増えた。退去の日、空っぽの部屋は元気だった妻や幼い子供たちと一緒に初めて入居した日の姿を現した。一緒に家に入った妻はいない。大きくなった子供たちと家を出た。
空っぽの部屋にはその時々のさまざまな思い出が染み付いていた。退去の時はいつも「お世話になりました」と部屋にお辞儀をして鍵を閉めてきた。最後の引っ越しの時も同じことをした。
空っぽの部屋が目に焼き付いた。
伊藤敏孝(63) 東京都中野区
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