Re:Ron連載「身体からの解放と体験共有 玉城絵美が描く未来」第1回
私は、BodySharing(ボディシェアリング)の研究者であり、その社会普及を目指すH2L株式会社の代表でもある。ボディシェアリングとは、人とコンピューターで、身体の情報、特に固有感覚を相互伝達することによって、他者やメタバース(現実世界を超越するバーチャル空間)上のアバター、ロボットなどと「体験を共有する」技術である。
固有感覚とは、例えば、リンゴを手に持っているときの、リンゴの重みの感覚(=重量覚)や、リンゴが存在することで手の握り込みを阻害される感覚(=抵抗覚)などの、身体の位置や動き、力の入れ具合に関与する感覚のことである。
私や私たちの研究チーム、事業開発チームがなぜ、ボディシェアリングを社会普及させようとしているのか――。一番初めの、始まりの「種」から述べたい。
ルーツは高校・大学時代の入院
私が高校生ぐらいの頃にさかのぼる。私自身、内向的なタイプで、「引きこもり」だった。願わくはずっと外に出たくないと、部屋にこもって読書しかしていなかった。さらには先天的な持病で、入退院を繰り返していた。
どうやら私は、そのときに結構入院生活もいいもんだと思ってしまったらしい。部屋の中でほとんどのことができると気づいたのだ。外に出たくない引きこもりであり、持病で外出困難者の便利さにも気づいた私自身が、部屋の中でいろんな体験をしようとしたのが一番の始まりで、最初に利己的なゴールができた。
部屋の中でいろんな体験ができるサービスはないか、探したが、ない。基礎研究ですら、ほぼない。本当は何かサービスがあって、ユーザーとして使えたのならよかったが、なかった。それなら、自分でつくるしかない、と考えた。
琉球大学の付属病院に入院しながら琉球大学の工学部に通った。当時、パスポートをとって初めての海外旅行に家族で行こうとしたが、入院が長引いてしまい、どうしても行けなかったという体験もして、「部屋の中で旅行も体験できたらいいな」とも思った。
入院中、最初は個室にいたが、手術や治療の効果があって徐々に回復し、同じ病室に6人ぐらいいるような大部屋に入ることになった。そのとき同室だった人たちも、人生の体験ができないと言っていた。子どもの運動会に行けなかったとか、私と同じように家族旅行ができなかったとか。普通に友達と遊びに行けない、退職したら友達と旅行しようと思っていたのに行けない、といったような。
結局、一番年上のおばあちゃんにあたるような80代の方が、さまざまな体験をしていて、みんなその80代の女性の話に食いついた。朝6時に起きて、朝食前に彼女の話を聞くのがとても楽しかったし、彼女がいくつも重ねてきた能動的な「体験」というものが、人生でとても貴重なものだと認識した。
私以外にも、きっと、もっと「体験」を必要としている人たちがいる。その人たちにどうやって「体験」を提供していくか。
自分の身体だけではなく、他の人の身体、遠隔地にあるロボット、もしかしたらメタバース空間上のアバターを使って、屋内の体験に乏しい環境でも得られる素晴らしい体験を提供していくという目的、利他的なゴールができた。
こうして、利己的なゴールと利他的なゴールが、私自身の高校と大学のときの体験によって構成され、今、私たちが体験を共有できるボディシェアリングという技術をつくり、社会に普及させる原動力となっている。
固有感覚をデジタル化し、「体験」を共有
ボディシェアリングで、特に重要なのが固有感覚だ。人間が物体に作用する、つまり能動的に「体験する」ときに何といっても重要で、別名「深部感覚」と呼ばれる体の深いところで感じる感覚だ。具体的には、物を持ったとき、体を動かしているときなど、我々が何かを体験するときに物体や環境に作用する感覚で、例えば握手をするときやハグをするときにも使われる感覚だが、あまり知られていない。
人間の感覚は、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚(きゅうかく)の五つの感覚「五感」とよく言われているが、五感は、紀元前に古代ギリシャの哲学者、アリストテレスが提唱した概念である。現在では、生理学や基礎心理学、認知科学、神経科学などの研究者によって、22以上の感覚があるとされている。シックスセンス(第六感)がどうのこうのとも言ったりするが、30もの感覚が存在すると言う研究者もいる。そんないろんな感覚がある中で、固有感覚は体験に重要な感覚の一つである。
私たちのチームは、この固有感覚をデジタル化してコンピューターに入力し、人間やロボット、メタバース上のアバターにアウトプット(出力)するという、固有感覚の入力と出力の両面でのユーザーインターフェース(UI)であるボディシェアリングの研究や開発を進めている。
今までも、コンピューターを介したUIはいろいろあった。例えば、言語情報はタイピングによってコンピューターに入力され、ディスプレーから出力されている。
他にも音声情報と聴覚情報はマイクとスピーカー、視覚情報はカメラとディスプレーで、入出力されている。こうしたコンピューターに入出力するシステムであるUIが進化するごとに、コンピューターやコンピューターシステムは、発展してきた。
UIの有名なものとして最近だと、2005年から08年に急激に普及したスマートフォンのタッチパネルがある。タッチパネルは、ディスプレー上で人間が指し示す複数の位置情報を入力し、それを視覚情報として出力するという新しいUIだ。今までの言語、視覚と聴覚の情報にプラスして複数の指先の位置情報が加わり、活用できるアプリケーションの範囲がぐんと広がった。
そういう意味でも、マウスポインターをパーソナルコンピューターのUIに導入し、マルチタッチを世界的に普及させたスティーブ・ジョブズは、産業的にもとても大きな発展をもたらした。
この二つ(マウスポインターとスマートフォン)によって、特にパーソナルコンピューターや個人でのプライベートユースという意味で、産業革命のようにコンピューター技術が広まったと思う。
もう一つ、最近インターフェースで革命が起きたものの一つとして、対話型AI「ChatGPT(チャットGPT)」がある。チャットGPTは、AIとユーザーを言語情報のUIで接合したのである。今までAIの活用方法が見いだせなかったユーザーに対して、自然言語処理を高度に発達させたUIとなるAIを構築することにより、ユーザーからみたAI活用の発展性を想像させた。
これらが示すように、UIによって感覚の自由度や言語の自由度が増えるごとに、コンピューターの能力進化、産業への適用は、大きな広がりを見せる。
200年分の「体験」できるなら、あなたは…
私たちもボディシェアリング、すなわち固有感覚の共有によって、遠隔地やメタバース空間内で、あるいは他者やロボットと、様々な「体験」を人々に提供するという新しい産業と市場をつくろうとしている。
ボディシェアリングを観光で活用した場合、体験はどうなるだろうか。例えば、マングローブが広がる水辺に、遠隔操作で動くカヤックロボットを設置するとする。従来は映像や音声だけで、自動的にカヤックロボットが動き、景色や音が変わっていくという状態だった。
しかし、ユーザーがインターネットを介してカヤックロボットにつながる、つまり、ボディシェアリングをすることによって、はるか遠くにあるカヤックロボットのパドルを自分で操作することができる。さらに、パドルを通じて水の重さや抵抗を感じとることができる。つまり、自分が能動的にパドルを動かすことで風景や音が変わっていく様子も感じ、「体験」を楽しむことができる。
この能動的な体験の共有が、ボディシェアリングだ。
遠隔での観光体験「遠隔観光」は、身体的あるいは精神的な外出困難者向けに、今、注目を浴びている分野の一つだ。
既に実証実験もなされ、沖縄県内で那覇市と名護市をつないだり、嘉手納町にあるマングローブが茂る水辺と宮崎県をつないだり、いろんな実験が進み、将来的に遠隔で様々な観光体験ができるようなプロジェクトを推進している。他にも、観光農業やスポーツのトレーニング向上など、体験を共有することによって得られるアプリケーションの広がりは様々なものがある。
江戸時代は、移動する手段、飛行機とか電車、車などがなかった。そのような時代と比べると、今は体験できる量が増えてきている。自分の人生が終了するまでに、どのくらいの量の体験が、どの程度必要なのかを、積極的に考えてほしい。
そして、固有感覚をデジタル化し体験を共有するボディシェアリングが身近になっていくことによって、体験量が増えていく中で、昔の人の150年分、200年分を体験できるとなったら――。
知識と身体のすべての感覚を使って体験を重ね、自分のなかで深く咀嚼(そしゃく)・理解し、血と肉にしていくことを「智慧(ちえ)」と言う。あなたは、どんな「体験」を積み重ねて、自分の智慧にしたいですか。(琉球大学工学部教授、H2L代表・玉城絵美)
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《略歴》たまき・えみ 1984年生まれ。琉球大学工学部卒業、東京大学学際情報学府で博士号取得。人間とコンピューターの間の情報交換を促進することによって、豊かな身体経験を共有するBodySharingとHCI(ヒューマン・コンピューター・インタラクション)の研究と普及を目指す研究者兼起業家。2011年に手の動作を制御する装置PossessedHand(ポゼストハンド)を発表し、米誌タイムの「世界の発明50」に選出される。20年の人間拡張技術の国際会議でポゼストハンドの論文が近年で最も推奨される研究論文として特別賞を受賞。21年4月、琉球大学工学部で女性初の教授に就任。23年4月から東京大学工学系研究科教授も務める。
Twitter:https://twitter.com/hoimei
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