〈まずは本誌について、〉 65年、すごいですよね。毎回目玉みたいなものがないといけないんでしょ? それを65年間、毎週っていうのはすごい。 〈とエールを送ってくださった黒柳さん。〉 毎週毎週誰かが問題起こしてくれたらいいなあ、なんて思っているのかしら(笑)。私たち芸能人にとっては、とっても怖い週刊誌なんですけど、それを措(お)いておけば、人間のことを深く調べて書いている週刊誌だなあ、と思います。私は人間を深く書いてるものを読むのがとても好き。私がいつも気になっているのも、やっぱり人間のことですから。 〈「徹子の部屋」が始まったのは、1976年2月2日。第1回のゲストは故・森繁久彌氏だった。その4日後に発覚したのがロッキード事件と言えば、歴史を実感いただけるだろうか。放送回数は1万1千回を超え、同一司会者による番組最多放送のギネス記録に認定されている。空前、そしておそらく絶後の番組だろうが、“長寿”の秘訣を伺ってみた。〉 「週刊新潮」と同じで、人に対する好奇心を保ち続けてきたことではないかしら。やっぱりインタビューする時に一番必要なのは、その人に対する興味だと思うんですけど、それが絶えちゃうと、話を上手に引き出すことはできないでしょ。この人はどんな方なんでしょう。どんなおしゃべりをしてくれるんでしょう。そういう私の好奇心が絶えなかったことが第一だと思います。 好奇心旺盛なのは、私だけじゃなくて、スタッフ一同もなんですよ。「徹子の部屋」では、スタッフが事前にゲストに取材をして、それを私に伝えます。毎週1度、その打ち合わせがありますが、今はコロナだからリモートだけど、普段は同じ部屋でやっているんです。一人のスタッフと打ち合わせをしていても、その人の話をみんなで「へえ~」って聞いて、「そうなんだ!」って盛り上がって。スタッフが人を好きでいてくれることも、長く続いている秘訣ですね。 番組が始まる時、私は二つのことをお願いしたんです。ひとつが、スタッフを入れ替えないでください、ということです。テレビ局ってスタッフの異動が激しいんですが、「徹子の部屋」は私がどういう人間かということを飲み込んでもらわないと上手くいかないと思ったんです。私とスタッフの話し合いで方向性が決まっていくのに、打ち合わせの段階でしょっちゅう人が替わっていくと、また説明しなくてはいけない。ゲストへの取材も、同じスタッフなら私が何を聞きたいのか、阿吽(あうん)の呼吸で理解してくれますからね。今でも、45年前からのスタッフが1人いて、2年目からの方とか、5年目からの方も……。普通の局ではありえないくらい長く関わってくれています。それがとても良かったんですね。 それともうひとつ局にお願いしたのは、収録だけど、放送に当たって、カットや編集はしないでくださいということです。テレビの初期ってみんな生放送だったんでしょう? 私はその頃から仕事を始めていますから、生の緊張感の大切さがわかるんです。録画だと、「どうせうまく撮れなかったらまた撮ればいい」という甘えが出てきてしまうんですね。でも、生だと「失敗したら終わり」なので、一か八かの真剣勝負。その緊張感が番組には大切です。それに、後で編集が許されるのなら、局の意向で番組をどっちの方向にも持って行けてしまいますし、ゲストはここを使ってほしい、プロデューサーはここを残したい、私はこれも入れてほしい……と収拾がつかなくなってしまいますからね。
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